第14号(2014年3月)
教室年報・巻頭言
年報第14号の刊行にあたって
2013年(平成25年)の教室の記録を年報第14号としてまとめました。教室の診療、教育、研究活動に、学内、関連施設、国内外から多くのご支援、ご指導をいただきました。この場をお借りして心より感謝申し上げます。
2014年2月、ロシアのソチの冬季オリンピックで熱戦が繰りひろげられましたが、2013年9月ブエノスアイレスでのIOC総会で、2020年の夏季オリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決定しました。1964年の東京オリンピックの時には、私は小学生で聖火ランナーに旗を振っていましたが、56年を経て再びオリンピック開催の機会が巡ってきました。オリンピック開催決定の直後、日本神経学会は、2017年の世界神経学会議
[World Congress of Neurology (WCN)
2017]を京都へ招致することに成功しました。WCNは、1981年の京都大会以来、36年ぶりの日本での開催です。1964年の東京オリンピックは第二次世界大戦後の日本の発展を世界に認知させました。1981年の京都大会は、わが国におけるneurology(神経内科)発展の契機になりました。2020年のオリンピック・パラリンピックや2017年のWCNの開催が、次の飛躍へのステップになることが期待されます。
2013年には、プロ野球で仙台に本拠地をおく楽天の初の日本一と田中投手の連勝記録、ホテルなどのレストランにおける食材偽装の相次ぐ発覚、2014年4月からの消費税率増税(8%)の決定、台風による伊豆大島の土石流災害(10月)やフィリピンの高潮災害(11月)などのニュースがありました。
大学では、金沢大学が千葉大学、長崎大学と共に革新予防医科学共同大学院を設置する構想が文部科学省に採択されました。この新しい大学院では、私達は“認知症先制医療学”を担当します。私達は従来から能登半島の七尾市中島町で認知症早期発見・予防のための地域基盤型研究(通称『なかじまプロジェクト』)を継続しております。この大学院での活動等を通じて、疫学、リハビリ、PET他の学内外の研究施設や専門家との共同研究を一層推進し、認知症、特にアルツハイマー病の地域における早期発見、予測、予防法を確立していきたいと考えております。
この年報にありますように、2012年、当教室ではさまざまな活動や出来事がありました。ここでは、少し個人的なことになりますが、昨年夏の海外出張の時に飛行機事故に遭遇した経験を書かせていただきます。
2013年7月に米国のボストンでアルツハイマー病の国際会議(AAIC
2013)が開催されました。友人のSteve
Greenberg教授に招かれてマサチューセッツ総合病院の脳卒中センターで『脳アミロイドアンギオパチー』のセミナーをしたり、AAICではマウントサイナイのGiulio
Pasinetti教授と『天然化合物のアルツハイマー病治療への応用』に関するワークショップを開催したり、会議やボストン滞在を楽しみました。
すべての予定を終了した7月18日、ボストン・ローガン空港13時発の成田行JAL007便(ボーイング787)で帰国の途につきました。出発して3時間近くたったカナダの上空で、機長から「燃料ポンプにトラブルが発生したのでボストンに引き返す」というアナウンスがありました。私の座席からは見えませんでしたが、主翼から“煙のようなもの”が出ているのを多くの乗客が目撃し、中には“覚悟を決めた”人もいました。それについての機内アナウンスは一切ありません。その後、18時過ぎにボストン上空まで戻ってきました。空港には消防車が配置されていましたが、無事着陸しました。その夜は、用意されたボストン郊外のホテルに泊まり、翌朝、バスでニューヨークのJFK空港に送られ(フリーウェイで6時間!)、そこから帰国しました。
ボストンの空港で係員に状況説明を求めても、「お客様の安全のために念のために引き返した」と繰り返すだけでした。翼から出ていた“煙のようなもの”は乗客によって写真や動画が撮影されていて、それを見ることができました。それは、投棄した、あるいは漏れた燃料であろうという意見があり、真偽を確かめるために帰国してから航空会社に電話をしてみたところ、「出発した空港に引き返す場合、余分な燃料を海上に投棄する場合がある」という一般論を繰り返すだけで、当該機では実際どうであったのかという質問についてはノーコメントでした。“煙のようなもの”が出ていたのはボストン着陸前の海上ではなく、カナダの大陸の上空ですから、この説明が正しければ、燃料を投棄したのではないということになります。命拾いの一幕でした。
その後も、成田、モスクワ、サンディエゴ、シンガポールなどを出発したJAL787型機がトラブルを起こして途中から引き返したというニュースを耳にしました。“安全”と“信頼”は、航空会社のみならず私達医療関係者に強く求められるものであり、今回遭遇した事故は貴重な教訓になりました。
この年報第14号を皆様方に御高覧いただき、今後も一層の御指導を賜わりますことができましたら誠に幸いに存じます。
2014年2月
山田正仁