第2号(2002年3月)
教室年報・巻頭言
年報第2号の刊行にあたって
昨年の教室の記録を年報としてまとめる時期になりました。2001年はアメリカの同時多発テロ、炭素菌テロ、アフガン戦争など、まさに激動の21世紀の幕開けとなりました。この一年間の私達の教室の活動を年報第2号として報告させていただくと共に、御指導、御鞭撻をいただきました学内・外の皆様方に心より感謝申し上げます。
2001年は、金沢大学医学部、附属病院に、大きな出来事が2つありました。
一つは、4月の医学部の大学院重点化(部局化)であります。医学部の講座はすべて、大学院組織に改組され、医学部の教官はすべて大学院所属の教官になり、大学院の教官が医学部の学生教育を兼務するという形になりました。大学院医学系研究科は、脳医科学系、がん医科学系、循環医科学系、環境医科学系の4つの専攻にわかれ、私達の神経内科は脳医科学系の中の属し、ここには神経関係の基礎、臨床の教室がすべて集まっております。脳医科学系の中では、脳病態医学講座に属し、そこには私達のほかに、精神科、脳外科、病理などの脳神経疾患に関連する分野が入っています。その中で、神経内科は『脳老化・神経病態学 Neurology and Neurobiology of Aging』という分野名になりました。本学医学部の大学院重点化のキーワードは『老化(高齢化社会)』でありまして、『脳医科学系』は、『脳老化の解明とその防止』を大目標として掲げております。神経内科はNeurologyに加えBrain Agingへフィールドを拡げ、重点化大学院の中で大きな役割を果たしていくことを期待されている、また、社会が私達の更なる活躍を求めているものと感じております。
もう一つは、9月の新病棟オープンであります。医学部附属病院は、がん研究所附属病院と統合し、10階立ての新しい病棟となりました。神経内科は最上階の非常に見晴らしのよいフロアに入りました。金沢の街を前景にして夕陽が日本海に沈む様子はまさに絶景であります。ベッド数も14から20へ増えて、念願の増床が実現しました。増床によって入院待ちの患者さんが少しは減るかと期待しておりましたが、神経内科の外来患者数も増加の一途を辿り、予想に反して、入院待ちの患者さんの数は増えてしまいました。
教室の中も、元気な新人が多く入り医局員数も徐々に増加するなど、活気が出てまいりました。教室の診療、教育、研究活動の記録はこの年報にある通りで、また、関連病院における活動についても寄稿していただいておりますが、今後、一段とパワーアップし内容を充実させていかなければならないと考えております。
研究につきましては、教室伝統の神経免疫学の研究に加え、新たな研究も少しずつスタートしてまいりました。一例として脳老化・痴呆分野のプロジェクトの1つをあげますと、2001年秋から、科学技術振興事業団(JST)の地域結集型共同研究事業として、痴呆の早期診断をターゲットにした、『次世代型脳機能計測技術・診断支援技術の開発』研究が始まりました。私達の臨床グループやPET、バイオセンサー、MEG、ナレッジハンドリングなどの地域の先端的研究グループが力を併せて、痴呆や脳疾患の新しい診断支援技術を開発していこうとするプロジェクトです。神経内科外来に『もの忘れ外来』もオープンしました。さらにプロジェクトには、当地域の高齢化地区を対象に、新規に開発される検査技術を応用した脳健診を行い、痴呆、脳血管障害等の脳老化関連疾患を包括的に研究し、早期診断、リスク診断など、治療・予防へ向けたモデルシステムを確立していこうという将来計画も含まれております。こうした地域の特性(北陸は高齢化の先端的地域!)を生かした、地域密着型のプロジェクト研究が始まったことを大変うれしく思っております。
社会や医療システムと同様に、大学も独立行政法人化、トップ30(COE)構想など大きな変革の時期を迎えております。
その際に、いろいろな角度から私達の活動は評価されることになります。これは、私達が真に社会、世界に貢献する道をめざし、あるべき目標へと活動を方向づけていくことを明確に意識する、よいチャンスと思います。自分はこの患者さんのために何ができるのか?というベッドサイドの原点から出発し、既成の考え方を越えた新しい発想、創造力を発揮し、研究を発展させ、その成果を患者さんへ還元し社会に貢献していくことができる教室をめざして努力を重ねていきたいと思います。
この年報第2号を皆様方に御高覧いただき、一層の御指導を賜わりますことができますれば誠に幸いに存じます。
平成14年3月
山田正仁