教室案内

第12号(2012年3月)

年報第12号の刊行にあたって



 2011年(平成23年)の教室の記録を年報第12号としてまとめました。教室の診療、教育、研究活動では、学内、関連施設、国内外の共同研究者など多くの方々のご支援をいただき、この場をお借りして心より感謝申し上げます。

 2011年は震災の年として長く記憶される年になりました。被災した方々に心からお見舞い申し上げますと共に、犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
 2011年2月22日、ニュージーランド南島のクライストチャーチ市をマグニチュード6.3の地震が直撃しました。市内の多くの建物が倒壊し多数の死傷者が出ました。この地震で私達の神経内科病棟の看護師であった百万元輝さんが犠牲になりました。彼は患者さんの信頼も厚い優秀な看護師で、笑顔が爽やかな若手のエースでした。国際看護師をめざしてクライストチャーチに留学、そこで被災して帰らぬ人となりました。志半ばで倒れた彼の無念をかみしめました。
 クライストチャーチで行方不明者の捜索が続いている中、3月11日、わが国では東日本大震災が発生しました。三陸沖を震源とする国内観測史上最大のマグニチュード9の地震で、岩手、宮城、福島3県の沿岸は、高さ10メートルを超す大津波に襲われ、壊滅的な被害を受け、死者・行方不明者は2万人近くに達しました。東京電力福島第一原子力発電所では、全電源喪失で冷却不能になり相次いで爆発が起き、大量の放射性物質が外部に拡散、原発事故の深刻度はチェルノブイリ原発事故(1986)に並ぶ「レベル7」と発表されました。現在も多数の人々が大変な避難生活を送っておられます。
 私達の教室から仙台の広南病院に赴任していた古井英介Dr(脳血管内科)とは、震災後、早い時期に連絡がつきました。NHKテレビが被災地の医療事情を取材した際には、古井Drが被災者に多発する血栓症の予防などで活躍している様子が報道されました。震災後の復興や原発事故問題のため、今後、息の長い支援・対策が必要な状況が続きます。その中で私達が関わる医療・医学が果たすべき役割には非常に大きいものがあります。この時代に生きている私達は、それぞれの立場で最も貢献できることを継続的にやっていくことが大切と思います。

 2012年1月1日、当教室は開設30周年を迎えました。1981年4月に附属病院に神経内科設置が認められ、1982年1月に初代教授の高守正治名誉教授がご着任になられ、当科の診療・教育・研究がスタートしてから30年になります。高守名誉教授の後任として2000年1月に私が着任させていただいてから12年がたち、年報も本号が第12号になります。何も無いところから教室を作り上げられた高守名誉教授を始めとする創成期の方々のご苦労に感謝いたしますと共に、当教室の誕生・発展を多方面からご支援、ご指導くださった金沢大学・大学病院・医学部(医学類)・大学院医学系研究科、文部科学省・厚生労働省、内外の大学、病院、研究施設等の関係者の方々に厚く御礼申し上げます。
 教室では、この30年間の活動を記録に留めるために、30周年記念誌を発行することにいたしました。そのため、教室内に編集委員会を立ち上げ、昨年来、多くの方々からご寄稿をいただくなど、編集作業が進んできております。この年報を発刊後、なるべく早い時期に30周年記念誌を発刊できればと存じます。
 教室の使命は、優れた診療や研究を実践することによって次世代を担う人間を育て開花させ、社会に貢献することにあります。1年、1年の充実した着実な積み重ねを30年、50年、100年、―――と継続することによって、それが達成され社会に貢献する教室の伝統が形づくられることを願っております。

 この年報第12号を皆様方に御高覧いただき、今後も一層の御指導を賜わりますことができましたら誠に幸いに存じます。 

2012年2月
山田正仁
 
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